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母と私(3)大人になるということ

!!注意!!CAUTION!!注意!!
※親に対する恨みつらみと偏見が山盛りです。
※ざっくり言うと毒親の話です。

 

前回の記事の続きです。


就職先が決まって、高校最後に受けた内視鏡検査。

大腸に潰瘍はどこにも見当たらず、血も膿も無く、血管が薄く透ける部分もたまにあり、完全寛解とまではいかなかったけれど主治医は大喜び。
この時初めて、細い血管が薄く透けている状態が正常なのだと知りました。

入院してから3年。症状が出始めてからは5年。
もう私は治ったのかもしれない!

そう思って、新しい春を迎えました。
引っ越しも終わり、寮生活がスタート。寮には高校時代の友人も一緒に住んでいました。

 

けれど…

仕事って、なんだろう。
それを殆どと言っていいほど知らなかった自分にとって、島ならではの独特なコミュニティに溶け込めず、うまくいかない日も増えていきました。

そのたびに訪問する母。電話やメールもよくきていました。週1とかそんなもん。
せっかくアクセスの不便な離れた場所に来て干渉されないと思ったのに、せっせこやってくるし頻繁に連絡が来るわけです。

血管が透けて見えるくらい状態がよかった体も、どんどん駄目になって。仕事もうまくいかない、干渉されるストレスで再び悪化し、半年経たずに退職。

 

退職後一旦家に戻ったものの、そこには誰も手が付けられなくなってしまった妹がいました。
中学時代に不登校になり、通信制高校に通いながらバイトをしていたのですが、まあこれが酷かった。

音楽プレイヤーで夜中まで音楽を聴く…のはまあいいのですが、イヤホンをつけているのに歌う。
バイト代でベースを買えば、夜中ずっと練習。
眠れないと言っても、イヤホンつけているのだから好きにさせろと。
いやいや、歌ってますやん。夜中の2時に大きな声で歌ってますやん。

 

体調悪化に不眠のダブルパンチ。
自分の居場所はもうどこにもないのだなと感じました。

 

このとき、私には交際していた相手がいました。
その相手と年末に旅行に行くことが決まっていたのですが、そのとき家を出よう。
荷物もばっちりカバンに詰めて、大事なものも持ってきて。

今だからこそ思うのですが、もう少し荷物を持っていきたかったので荷物を宅配便で送っておけばよかったかな、なんて。
働いていた時に貯めこんでいたお金で購入した「ハイラル・ヒストリア ゼルダの伝説大全」を置いてきてしまったことを未だに後悔しています。当時の自分の価値観の中では地味に高かったんや…

 

2012年12月初旬、広島から大阪行きの新幹線に乗り大阪旅行を楽しんだあと、私は名古屋へ向かう近鉄名阪特急に乗り、母親宛てにメールを送りました。
確か「もう帰りません」みたいな、短い内容だったと思います。

養父からも母親からも電話が鳴り止みませんでした。
なぜなのか、どうしてなのか、何が不満だったんだ、戻ってこい。

きっと親は、交際相手にそそのかされて家を出たのだと思ったのでしょう。
でも、荷物をまとめたのも、旅行ついでに家を出ると決めたのも自分です。

 

帰る気がないと言い続けようやく諦めたのか、2ヶ月ほどで連絡は来なくなりましたが、今度は妹からメールが。

「クソ親(実父のこと)の血を引いているから家出をしたんだろう、親不孝者、汚らわしいお前と一緒の戸籍に居たくないからお前が籍を抜け」

…( ゚Д゚)
私もあなたも同じ父母のDNAを継いでいるのですが…?
さすがにこの妹の謎理論はよく分かりませんでしたが、とにかく関わりを断ちたいようでした。

 

その後、その交際相手とは別れ、アパートを借り一人暮らしをしながらアルバイト。
交際相手は実は母親と月に1度ほど電話をして近況を報告していたらしく、2ヶ月で連絡が途絶えたのもそのためだったようです。

そんな相手とは居られないとひとりで暮らし始め今の夫と出会い、ハタチを過ぎたことで自由に携帯回線が契約できるようになったので番号ごと機種変更。

 

バイトも楽しい、彼氏もいる、のんびりした一人暮らし。
…が、数か月経ったころバイト先に養父から電話がかかってきました。

電話番号も変更され交際相手とも別れたことから連絡が途絶えたため、交際相手にバイト先の電話番号を聞きかけてきたようでした。

 

おそるおそる電話をかけてみると、あっけらかんとした声で

「ああー、元気?△○銀行の口座から引き落としされませんってハガキがきてたから、振り込んでおいてね。また来年くらいにかけるわ~」

…通話時間、およそ5分くらい。
そもそも20年生きた中で7年しか関わりがないうえに長期出張でけっこう居なかった相手なので、形式上の親子とは言えどあっさりした電話でした。

 

4年経ちましたが、養父からの電話はあれから一度もかかってきません。実母からはそれ以前にメールが1度だけ来ましたが、返信はしていません。
でも、それでいいんです。私にとって親子関係は、苦痛なものでしかありませんでした。


私にとって20歳という区切りはとても大きくて、携帯やケーブルテレビ、WiFiなどの「各種契約に保護者の同意が必要なもの」が自分でできるようになる、制限がなくなる歳でした。賃貸で保証人代わりになってくれる保証会社も、大体のところが20歳以上だったと思います。
そして一人暮らしを始めて自分で税金を納入し、年金を払い…自立した生活を送り始めたことも、自分の重心になる部分を作った大切な時期だと思います。
自由に使えるお金はそんなにたくさんあるわけではありませんでしたが、それでも少しずつ貯金していました。

 

金銭感覚や食事マナーは身についていたけれど、世間とはずれた価値観を持ち続けて就職に失敗した18歳。
バイトしながらお金をやりくりして、月2万ずつ通帳に溜まっていくのを楽しんでいた20歳。

生きる楽しさを少しだけ見出して、でも先の見えない不安も抱えながら過ごしていた独身時代でした。



ここまで読んでいただきありがとうございました!
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