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母と私(2)ゆっくりと壊れていく家庭

!!注意!!CAUTION!!注意!!
※親に対する恨みつらみと偏見が山盛りです。
※ざっくり言うと毒親の話です。

 

前回の記事の続きです。


中学3年生の間に起きたこと。
鮮血便、高熱、吐き気、氷食症、抜毛症。

中学3年生の間に決まったこと。
親の再婚、マンション購入、入学先の高校、転居。

 

中学の卒業式が終わってからも、体調不良は続いていました。
常に微熱、水様便、けだるさ。

今まで母が「不定愁訴(何となく体調が悪いという自覚症状)」として申告していた症状が”病気かもしれない”と気付いてくれたのは、島に住み始めてからずっとお世話になっていたかかりつけの先生でした。小学2年から中学卒業までなので、かれこれ8年くらい診てもらっている先生です。
母に付き添われた私の前で、分厚い医学の本を開いて、ふせんが貼ってあったページを示して。

「潰瘍性大腸炎かクローン病かもしれない」

…面白い名前の病気だなあ、というのが、第一印象。
おそらく、プライベートな時間を割いて調べてくださったのだと思います。その先生には今でも感謝してもしきれません。

自分の体調の大変さで頭が回らない&学生だから生活や家のことを気にしなくてもよいので、病名を告げられてもいまいちピンときていませんでした。クローン病ってなんやねん!潰瘍なんたらってなんやねん!という感じで。
当時は将来に希望を見出せてなかったことも、この他人事のような態度につながっているのだと思っています。

でも、島には内視鏡検査を受けられる医療機関はありません。転居先で一番近い小さなクリニックに紹介状を書いてもらうことになりました。

 

3月末にマンションに転居し、島を離れ本州住まいに。
入籍届と同時に養父(看護学生時代に母の彼氏だった人、再婚相手)と養子縁組し、書面上での親子に。苗字も変わりました。
母は3月末時点で職場を退職、専業主婦に。

その数日後にはクリニックを受診し、そのまま内視鏡検査。初めて見た自分の臓器。血だらけで、ところどころ白い膿が浮いていて、へえこんな風になっているんだーって。すぐに、これまた近所にある大きな病院に紹介状を書いてもらうことになりました。
血だらけ膿だらけの大腸が正常ではない、ということを知るのはもう少し先のお話。(笑)

 

高校入学直後、3日間高熱。紹介先へ紹介日よりも1日早く受診し。緊急入院となりました。その時にはもう体力もなくへろへろで歩くこともままならず、食事も食べられない。病室までは車いすで移送されました。
病室にいる私と母のもとへ養父が合流し、母は「どうして早く病院に連れて行ってあげなかったのだろう」とすすり泣いていました。

ベッドに横たわる私はそれを見て、この人は一体何を言っているんだろう、と。
あれだけ頻繁に同じ症状で病院に通って改善されなかった症状を、やれ知恵熱だ嘘だと言っていたのはあなたでしょう。
我ながらずいぶんと冷めた目で母を見ていました。

一方病気に対しては、特に何も思っていなくて。
ずっと苦しい思いをしていた腹痛や下痢は”気のせい”ではなかったのだ、これでようやく痛みから解放されるのだ。
ようやく自分の苦しみに名前がついた、という開放感のほうが大きかったです。

 

時期は少し前後しますが、母はこのころある”陶器の人形”を購入し持っていました。
介護をしていた頃の上司から誘われ購入したもので、人形以外にも御守り、ネックレス、キーホルダー、盛り塩セット…
ネックレスは子供の人数分買い揃え、私たちそれぞれが持たされました。ネックレスと言っても、重ね合わせたベニヤ合板にキャラクターをレーザー彫りしてパワーストーン(らしい)石をちょちょいとつけたもので、原価いくらなんだろうなあというアイテム。売値の1/10あればいいほうか。
これを持っていれば効果テキメン☆あなたの願い事が叶うわよ!という感じのスピリチュアル満載なネックレスでした。
養父は何も気にすることなく過ごしていたように記憶しています。

短期間でグッズを買い集め、崇め、子供にも持たせる。
この行動には私含め妹たち(当時中1と小3になる年齢でした)も懐疑的な見方をしていて、母は悪い商売に引っかかってしまったのだと3人で話し合っていました。何だかよく分からない、得体の知れない、今までとは違う…うまく言い表せない”きもちわるさ”を、なんとなくそれぞれが感じていたのです。
そして、これを持っていれば受験もばっちり!と、高校受験のときにもネックレスを持たされました。もちろんつけずにカバンの中にしまっておきましたが。

この人形、気になってつい先日検索したのですが、思いっきり宗教カラーなお人形でしたので名前は伏せさせていただきます。

 

入院して数日、母が荷物の整理にやってきて、そのネックレスを私に渡して一言。

このありがたいネックレスをつけていれば、病気も完治する!

元看護師の発言とは到底思えない言葉がすっぽーん。
主治医からの説明で”難病である” “完治する方法は今のところない”と言われていたのをわりと真剣に聞いていた母はどこに行ったのでしょう?

 

もちろんそんな姿は人には見せないので、当時の母を知る人たちに聞いて回っても知らないと答えるでしょう。
でも子供の前では確実に、当時の私が思う「やばいやつ」そのものでした。

 

退院後、学校にも通えるようになり、表面上は何事もなく過ぎていったように思います。
でも、再婚したことによって家族はゆっくりと壊れていきました。

2歳離れていた妹は特にひどく、我が儘を言うようになり、家の中でだれも手が付けられない状態に。
一番下の妹は大して変化がなかったものの、お金に関するわがままやお小遣いのおねだりが増えました。
母は陶器の人形を大事そうに抱え、やれセミナーだのやれ同志の集まりだのに出かける日々。
養父は仕事柄何日も家を空けることがあるので、あまり家にはいません。

私自身は変わってない、と言えばそうなると思います。おそらく。貧乏だった幼少時代のままの、変わらない価値観と視点を持ち続けていました。
でも私の周囲は、再婚したことによる経済的余裕から変化してしまいました。

 

ヨーグルトがいいと聞けばヨーグルトメーカーを買ってきて、毎朝ヨーグルトメーカーの容量いっぱいに作られたヨーグルトを食べて学校に行ったり、
母の知人のスピリチュアル系?の方にお祓いをしてもらったり、
手作りおかずのお弁当を作ってもらってたはいいけれど、ある日突然「お前の弁当は手間がかかるんじゃ!」とブチ切れられたり。

ヨーグルトも、お祓いも、手作りおかずも、子を思う親だからこその親切心で行っていたのでしょう。
残念ながら私自身は一度もそれをやってほしい、続けてほしいと頼んだ覚えはないし、ありがたいなと思ったこともありません。
親の「せっかく○○してやったのに」という感情が見え透いていたのも、嫌悪感を抱く理由のひとつだったのだと思います。

 

こんな感じでひどく冷めた目で家族を見るようになった私は、就職したら親元を離れようと強く決意しました。
とにかくこんな家に居ては心が無くなってしまう。どうかその前に、逃げなきゃ。

当時はまだ潰瘍性大腸炎に関する知識が乏しく、服薬とGCAPで寛解状態に落ち着いており、もう病気なんて無縁だ!なんて慢心していましたから、親元を離れても生活できると思っていました。

 

就職に関する情報が日々学校に集まり始めたころ、またまた親がこんなことを言ってきました。

「公務員を目指したらどう?」と。

当時住んでいた広島県呉市には海上自衛隊の基地があり、公務員になればわずかながら基地の業務に携わることもある。そうなったら基地にある病院を受診できるかもしれない。なにより公務員は土日休みだから病院にも行きやすいだろう。

というのが理由だったようですが、私は受ける気がさらさらありません。そもそも、公務員を目指す学生はもう高校入学直後からそこを目標に見据えて勉強しているので、高校3年から勉強を始めたっていまさら遅いのに何を言っているんだろうというのが正直な感想でした。
購入してもらった公務員試験対策の問題集を読んだのは1ページだけ。試験はもちろん不合格。
高等専門学校を目指せと言われた時もそうでしたが、私に対する理想をあまりに高く持ちすぎて、ずいぶん白けた目で一歩引いたところから親を見ていました。

 

就職先は広島県内を中心に情報を収集していましたが、「家から遠すぎる」「やめておきなさい」と否定され続けていました。
親としては「公務員になるだろう」と思っていたので、そんなところに行くなんて!という感じだったのでしょうね。
ただまあ、学校に保管されている就職に関する資料は学校でしか閲覧できないのがよかったと思います。親は私が持って帰った資料しか目を通せませんから、あれしろこれしろと言われないという点では非常に楽でした。

最終的に絞ったのが、離島の工場と広島市内の工場。どちらも寮があり、離島の工場は友人が面接を受け内定が決まっていたので、まずそちらを受け、駄目であれば広島の工場にしようと考えていました。
が、面接もあっさり終わり離島の工場に内定。

やっと家を出られる。やっと自分のペースで生活ができる。

その時までは、働き始めるまではそう思っていました。


子供が就職活動をするとき、親はどんなことを一番に願うのでしょう。
子供の自立?生活の安定?外面?就職先のネームバリュー?

私の親が願ったのは、自分たちの手綱が握れる範囲内での生活への干渉でした。

そうまでして母が私を”飼って”おきたかった理由がよく分かりません。
そして、私には仕事の大変さや苦労がその時まで分かりませんでした。見えないところで苦労している部分を、親が必死に隠していた結果なのかもしれません。自分が無知すぎたというのもあったと思います。

 

親が子を想って起こす言動は、どこまでが「子供のため」になるのでしょう?

自分が親になった今、それを日々考えながら、夫と話し合いながら生活しています。
私が子供に遺せる、子供にとってメリットのある(有害ではない)ものはなんだろう。

自分の老い先短い人生、「してやった」思考で動きたくないなと堅く決意しています。



ここまで読んでいただきありがとうございました!
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