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私が潰瘍性大腸炎になったきっかけ。~卒業、就職、そして家出。~

※色々ツッコミどころ満載です。
【参考程度】に見てくださいね♪
高校、卒業。

3年間、嵐のように過ぎ去ったけれど、地味人間なりに充実した日々だった。
もちろん薬を飲みながら(時にはGCAPをしながら)だったけれど、まわりの人たちの理解に恵まれた生活だった。

同じクラスには、在学中にバセドウ病を発病した女の子もいた。
その子のお陰も少しあるかもしれない。

卒業したあとは進学ではなく、就職をした。
親は学費を出す余裕はなかったので最初から就職希望だったが、ここでも口を挟んでくる。

公務員なら土日休みだしいいよね!とか。
自衛隊内には病院あるからそこにしなよ!とか。

公務員試験も受けさせられた。
試験対策テキストを1ページしか読んでないから、もちろん結果は不合格。
不合格通知を見て凹んでる両親を見て、なんだかなぁと思いつつ、凹むふりをした。

あれもダメ、これもダメ、ここにしなさい!のゴリ押しだったときに助けてくれたのは、同じ部活で仲良くなった友人だった。
「私が事務員として行く会社、工場の人足らないらしいけど受けてみる?」

島暮らし、寮付き、工場勤務。
面接もゆるーく、あっさり合格。
アパートの一室を会社が借り、そこに友人と2人でシェアハウス形式で住んでました。
やっと親元から離れられる。
やっとこの過干渉生活が終わる…
と、思ってたのですが。

寮にはたとえ両親でも来てはいけない、という規則があるのに、毎週有料架橋を渡って来てくれました(笑)
(ま、ゆるい規則だったからなぁ…)

工場のストレスと、過干渉によるストレス。

服薬のみでコントロール出来てた体は一気に駄目になり、半年で退職しました。

しかし退職後も不調が続き、はたと気付いたのです。
これ、自分の親がストレス源になってる…?

昔からそりが合わず、敷いたレールの上を歩かせたい母と言いなりの父、そのレールに乗りたくない私。

反抗せず言うことを聞き続けていたせいか、「自分で行動する」「自分の意見を出す」ことがすごく下手になっていました。

このままではいけない。

そう思った私は、当時遠距離恋愛していた彼氏とある計画を立てました。

それは、クリスマス旅行と称し大阪で合流、観光を楽しんだ後に彼の家に住む、というもの。

つまるところ、家出しようって感じです。(笑)
荷造りは、家出しても問題ないように必要最低限のものをかき集めてキャリーバッグに詰めました。
(当時買ったばかりだった、好きなゲームの公式ムック本を持ってこなかったのを今でも少しだけ後悔しています。笑)
妹には彼氏がいることを話していなかったので、両親の寝室のベッド下に荷物を置かせてもらい、妹には「友達と旅行に行く」と伝えて、新幹線で大阪へ。
これ以降、私が広島に戻ることはありませんでした。

話の舞台は愛知県へ…

続く…

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